気骨人 代表 藤森 哲朗
- KACウェブチーム

- 13 分前
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「葉月(はづき)」「葉落ち月」まだまだ暑いですが、旧暦では仲秋で「月見月」であったり、「清秋・盛秋・正秋」、「燕去月」「雁来月」であったり、そして竹にとっては春「竹春(ちくしゅん)」です。
最近のニュースにありましたが、これまであまり利用されていなかった三条小橋のたもとにある「TIME'S」ビル(安藤忠雄設計)が、近々「京都建築センター」なるものとしてオープンするようです。そこには、京都モダン建築祭の拠点だとか、ギャラリーやショップ、ライブラリーなどが出来、建築ツアーやラーニング等々「人とまちと建築をつなぐ拠点」が創造されるようです。建築に親しむことで、街の歴史を学び、人々の生活を知り、文化を広く深く理解をもたらすことを目指し、建築を楽しむまち文化を人をつくること、「建築を楽しむ文化」をつくるための挑戦。京都アートカウンシルの京都芸術センター構想」みたいですね。(夕方のテレビ番組で時々見かけるまいまい京都の代表の以倉敬之さんも関係しておられるようです。)ここは、京都高瀬川アートフェスティバルの開催場所に面しているので、とても気になりますね。
また、このところ、ある議員さんの失言でしょうか、「政治と金の話しは、昔のように今はありません」と、公然と昔はあったことを平気で言うのは、今は上手く隠している、旧態依然のまま同じだと言っているかのようです。そしてあちこちの若い知事や市長などを見ていると、[虎の威を借る狐]のように、小さな人間ほど変わるようです。変わるのではなく、人の情けない本質が露呈するのでしょうか。教育は知識だけではない。人間教育がまるで出来ていない証拠です。前にも言ったように、ノーベル賞受賞者が必ず基礎研究が大事だと。つまり人間としての「良い無駄」が出来ていない、正に目の前のことや結果しか見ない教育でしかない。人間としての本質がないのでしょうか。
私見ではありますが、京都日本画専門学校に教えに行っていた頃、恩師である山本六郎先生と20代後半、毎日夜中まで一緒の時期がありました。書や山水画の研究者、文人のようでした。毎晩居酒屋で一対一の肌で感じる世界でした。その先生からは、今では言えない様な言葉、婦女子(腐女子)のような腐った男とか、同じ空気を吸うだけで腐るとか聞きましたが、それは人の清らかな心のない人間のことであったり、人間としての筋を通すことの大事さでした。「我慢はするな!いつか爆発するから、しかし自らする痩せ我慢は美学だから、どんどんしなさい」とか。「明治の気骨人」のようでした。
今このような「気骨人」と云う人は、過去の人でいいのだろうか?
追伸 個人的にも20才代から接点があり、京都アートカウンシル会員で元パンリアルで一緒だった、モリ・ナヲさんが7月28日、88歳で亡くなられました。祇園で生まれられたので、芸妓さん達から『ボン』と言われ多くの小遣いを貰ったとか、小学生の時からランドセルを忘れて行ったとかのエピソード、「藤森10円出し、これで割り勘や」とかの性格、本当に残念でした。でもラッキーな人生だったのではと、ご冥福をお祈りします。合掌。
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