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【守破離】 藤森哲朗

「水無月(みなづき)」の(無)は「の」の意味、水の月で田に水を張る月とのこと。2026年の昼が一番長い日「夏至(げし)」は6月21日(日)です。大阪ではタコの足のように稲がしっかり根が張るようにと「夏至ダコ」を食べ、京都では「夏越しの祓(なごしのはらえ)」として、宮中で氷を口にしていた暑気払いを真似て、三角の白いういろう(氷)に小豆(魔除け)をのせた「水無月」を食べますね。

さて、この間5月23日にギャラリー JARFO京・文博(京都文化博物館別館1F)で、「LAYERED-かさね・宗由美子作品展」のギャラリートークがありました。

宗さんがいつも考えているというテーマ「作家とは?」「創造するという行為の意味って?」「プロって?アマチュアって?」「そもそも意味は必要なのか?」とか、「藝術」「アート」「art」、美術と美術では無いとされるものの境界線はどこに?etc…・・わーわーと始まりました。

その中で「守(しゅ)破(は)離(り)」という言葉も出てきました。

もとは千利休の訓をまとめた「利休道歌」に【規短作法守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな】と。

<守る>

修行に際して、まず師匠から教わった型・技を徹底的に「守る」ところから修行が始まる。(型・基本)

<破る>

師匠の教えに従って修行・鍛錬を積み、その型を身につけた者は、既存の型を「破る」ことができる。(創造)

<離れる>

さらに鍛錬・修行を重ね、かつて教わった師匠の型と自分自身で見出した型、言わば型から「離れ」て自在となることができる。(自由闊達)

「型を知っていて型があるから型破り、型が無ければ形無し」つまり、伝統を知ったから伝統否定・破壊ができる、知らねば否定も破壊もできない。そしてそこから自分なりの創造ができる。しかし否定したところで全否定はできず、少しでも伝統が残った創造なので、結果新たな伝統になっていく。(伝統・破壊・創造・伝統)特に芸能では伝統を守るだけでは、伝承です。

アートの世界、ピカソを例に出すと、美術教師の父から写実の基礎を勉強するも、十代半ばで卒業し、アフリカの面や多視点法・キュビズムなどの新たな表現法を創造し、そして技術や要素を削り捨てていく才能・技術で、子どものような純粋な作品になっていった。人は生まれて純粋な感性から一番遠い俗な理性を一旦目指す、それから断捨離の如く持っている技術などを捨てられる人が純粋な子どものような感性へと進む。しかしそれは螺旋状になっていて、子どもとは一次上の違うところである。自分(他人)もこの螺旋の構図のどこにいるのか自己判断ができるのではなかろうか?


追伸 また昔のように「アート灯ろう」を作って、高瀬川に流しませんか。

 
 
 

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