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共生 代表 藤森哲朗


長月、夜長月、稲刈月(いねかりづき)→(ねかづき)→(ながつき)?彩月(いろどりづき)、菊月、竹酔月、紅葉月。9月9日の重陽の節句で盃に菊の花を浮かべて酒を飲み、仲秋の名月での酒に月を映して飲む。

飲むことばかりですが、豊作や無病息災など自然と共に生きる以上、昔から自然に感謝するしかありません。

この間、京都市立芸術大学(芸大)の講座「共生と分有のトポス」の一環で、東願寺飛び地境内地の根殻(こく)邸(てい)(周囲に根設(からたち)があった)こと渉成園(しょうせいえん)で、植彌加藤造園さん(渉成園、南禅寺、智積院、清水寺、無鄰庵等の植栽管理)の若き職人、太田陽介さん(植物学者)と驚田悟志さん(現代美術作家)の話しを聞く機会がありました。

この渉成園は徳川家光が知上人(東本願寺13代)の時代に約1万の土地を寄進したのが始まりで、石川文山の趣向をいれた作庭で当時の姿を残すが、建物は1858年(安政5年)の大火や蛤御門の変で焼失し、現存は明治天皇の御幸に応じ再興されたもの。

今は西門が入口となっていますが、近々本来の南門から入るようにされるとのことです。池の中の南大島には当初にはなかった楠木の大木があるのですが、先日の台風で倒れ、形が悪い紅葉の木や雑草が生えている状態でした。そもそも紅葉(もみじには地を揉む意味も)は主木があり、その日陰を避けて斜めに格好良く育つものらしいです。雑草や外来種の強い草なども生えているのですが、どこかの会社のように邪魔だからといって切ったり、除草剤をまく発想はおかしいと、世の中の邪魔というものは誰が決めるのかと、土壌も人の腸の如く菌やバクテリアがいて、虫や蜘蛛など共存共栄していてバランスを取っている、共生する庭造りを考えているとのことでした。

世の中も自分のことしか考えていない首長さんみたいに、ひとりでは生きて行けない、皆が助け合い感謝し合う事が分からない人が多いこと。教育や環境なのでしょうか。夏まつりでも、地が地示のこと考えているのか(我々のことも考えてくれているのか)わかりませんが、わざわざキッチンカーなどが大阪や遠くから来ていましたが、地元にはお店がないのでしょうか。

それから、灯ろう流しや地蔵盆など、夏まつり本来の意味を今一度考えてほしいもので、京都アートカウンシルの関わりも含め、夏まつりを再検討しなければいけないのでは(灯ろう流しはプレ高瀬川アートフェスティバルでも)。

元々番組小学校も地域の教育や多目的ホールだけの意味だけでなく、消防自治、税まで関わり共存共栄のトポス(場所)でした。

京都市美術館も90年前、当時の美術工芸作家やデパートなどが、後世のためにと寄付で建てられたもので、市立でも私立でもなく共有物の筈なのですが。

また高瀬川も地のためにと江戸初期に角倉了以によって開削された運河です。高瀬川は京都と伏見や大阪間の物流に大きな役割をはたし、繁栄に寄与してきたという歴史があります。

高瀬川アートフェスティバルもこの川を中心に、それぞれの地と繋がり、アートで「共生」出来るようなひとつの形にして行きたいものです。(芸大も引っ越した地との共生を考えて、いろいろと活動しています。)

改めて、人間は全てと共生して生きるしかない。

共生しなければ種の絶滅でしかないということを思います。

明日を植える人

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