葉月(葉落月はおちづき)・秋風月・月見月と旧暦ではもう秋ですが、現在では命の危険な結暑日が続く8月です。特に毛のない人間には、直接脳みそに熱が伝わり沸騰するくらいです。これが駄日なようで脳の血管が破裂したりするようで、気を付けないとなりません。なぜ人間には毛があるかというと、人類の歴史上、暑いアフリカでのファーストマザーが、脳みその沸騰防止でアフロヘアーが冷却方法になったと。ちなみに北のヨーロッパ大陸に移動すると、沸騰する心配がないのでストレートヘアーでもノーヘアーでも大丈夫と。我々普段でも、けんけんガクガクと口角泡を飛ばし、頭が熱くならぬよう気を付けましょう。
さて、人は何かを犠牲にして、何かを得る「さしかえ人生」ではありませんか。物を得るのも時間やお金が必要です。お金や名誉や好きなことや健康や長生きや幸せや・・・、全て得た人はいないでしょう。欲まみれになれば本質を失うことになります。名作と言われるものも、どれだけの努力や犠牲のもとに成り立っているか。とどのつまり、今我々に出来ることを納得してやるしかない、それが人間の役割なのだから。(納得すればそれもまた楽し。)
この間この暑い中、元・立誠小学校の会議室で高瀬川灯ろう流しの灯ろう作りの手伝いを京都アートカウンシルの10人くらいで行いました。小学生や中学生、地女性会、京都アートカウンシル会員などによって描かれたいろいろな献画を、灯ろうの枠160基ぐらいに貼る作業でした(その内2~30枚はその場で描いた次第です)。そこで思ったのですが、地の人間から「ご苦労さま」のひと言もなく、いいように使われているようでなりませんでした。それなら、以前みたいにアート
灯ろうなどを作り、「まなびや」のようにイニシアチブを取り、地元を利用するぐらいになり、「高瀬川アートフェスティバル」のプレイベントのようにして、高瀬川をいろんな形で関係関連を広げ盛り上げる。もちろん無理のないように、みんなでアイデアを出していこうではありませんか。
(後日談として、5人でお疲れさん会で飲んだら、みんなカバンや鍵を失ったり、また自分を失ってケガしたり、何故か病院で寝ていたり、とんでもない「さしかえ」をしてしまったと反省しているこの頃です。)
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